拡張現実(XR)を追い求めて

An explorer of extended reality


文:Katja Gäbelein

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Published on October 11, 2022

|2023-03-08

手際よく、しかし、その動きは一見すると無造作にも見える。Anton Ebertの手は、集中力を高めて宙を舞うように動く。彼の一連の動作には独特の美学があり、時に中国古来の運動である太極拳を思い起こさせる。もし、Antonの頭にバーチャルリアリティのヘッドセットがなければの話だが。

ドイツ・エアランゲンのオフィスの屋上テラスに立つAntonの頭の中には、仮想の診察室があります。ハンドジェスチャーで仮想のX線装置を操作し、その下には、これまた仮想の患者さんが横たわっています。「XRの最大のメリットは、いつでもどこでも、好きなときにアプリケーションを使えることです」とAntonは言います。


Siemens Healthineers Anton Ebert

自身を「技術オタク」と称する32歳の彼は、6年以上前にSiemens Healthineersに入社。当初はカスタマーサービス部門で没入型デジタル関連の教育プロジェクトを担当し、顧客と協力して製品開発を進めてきました。その後、エンタープライズ・トランスフォーメーション&コラボレーション・チームにシニア・テクノロジー・マネージャーとして異動し、XRを中心としたデジタル化の推進とアプリケーション開発に取り組んでいます。


XRのシニア・キー・エキスパートであるAntonは、「all sorts of reality」(ASOR)コミュニティと呼ばれるXRコミュニティで全社的な拡張現実戦略の推進に取り組んでいます。彼らの野心的な目標は、このXR技術を全社的に確立すること、そして長期的には、Siemens Healthineersの多岐にわたる事業セグメントや製品ラインのコアビジネスにこの技術を着実に根付かせていくことです。


Antonは大学でメディア・エンジニアリングを専攻しました。デジタルメディア情報学とメディアデザインの境界領域にあるこの分野では、デジタル技術とデザインの基礎について学びます。大学時代、そしてキャリアの初期には、ゲームデザインやユーザーエクスペリエンス(UX)、カメラワーク、オーディオデザイン、そして3Dモデリングに携わっていました。

様々な分野を横断的に行き来する、いわば「クロスボーダー・コミューター」の彼は、XRコミュニティでストラテジストやアイデア開発者として活躍する素質を十分に備えているといえます。UXデザイナーと同じようにプログラマーともアイデアや情報を共有し、XRアプリケーションの技術的要件やデザインの観点から課題を取りまとめます。

また、「枠にとらわれない」視点は、最新の開発動向をつかむ上で重要なポイントです。AntonをはじめとするXRコミュニティのメンバーは、パートナー企業やスタートアップ企業などと頻繁にコラボレーションを行っています。さらに、メディア工学や心理学などを専攻する学生たちとの交流を重視しており、彼らは重要なプロジェクトのすべてに参加しています。Antonはこう言います。「学生たちと一緒にいると、新鮮な視点と斬新なアイデアがもたらされるんです」。


「枠にとらわれない」視点のほかに、「遊び心」も重要です。「ARやバーチャルリアリティに携わっている同僚はみんな、余暇にテレビゲームをします。もちろん、私もですが」とAntonは笑います。「ゲームの仕組みを理解することは仕事にも役立ちます。このゲームはどのように機能するのか。どうすればそのゲームに熱中し、楽しい気分になれるのか。どうすれば、より長くゲームに参加してもらえるか…。トレーニングアプリを利用する人が、2分で飽きてやめてしまうようでは困りますからね」。

VRやARのヘッドセットを装着したことがある人なら、誰もがこういったテクノロジーが解き放つ驚くほどの好奇心と熱意を味わったことがあるでしょう。このような感覚や感情は、創造的で持続可能な学習体験のために大いに役立ちます。また、こういった技術が教育において成功したことを示す研究結果もあります。


具体的に、XRはどのように医用技術に活用できるのでしょうか?この質問をAntonに投げかけると、少し間を置いて答えました。現在、そして将来的に考えられるアプリケーションの範囲は非常に広範かつ多様で、その幅広さには圧倒されるほどです。XRは人間界とデジタル界の架け橋となり、デジタルコンテンツを自然な形でインタラクティブにデザインするための重要技術のひとつです。デバイスやプロセスを視覚化し、シミュレーションできるXRは、あらゆる利用者及びその対象者に膨大なメリットをもたらすでしょう。以下に事例を紹介します。


アイルランドのUniversity College Dublin(UCD)の医学部では、放射線技師と医学部の学生がVRを使用してトレーニングを行っています。このVRベースのX線撮影トレーニングユニットで、学生はシミュレーションされた患者さんに対して適切な放射線量を使用する訓練を行います。実物のX線装置で行う実習と比べると最大50%の時間や労力をこの方法で置き換えることができます。

タブレットPC用のExpertGuidanceというARを用いたトレーニング・アプリケーションは、医療機関のスタッフがSiemens Healthineersの新しい機器を導入する際や、新しいスタッフへの研修のほか、定期的なトレーニングを受ける際にも活用いただいています。

シミュレーションとARは、人体をよりよく可視化し理解するための取り組みをサポートするのにも役立ちます。エアランゲン大学病院の小児循環器科の医師とスタッフは、シネマティックレンダリングと呼ばれる可視化技術とARなどを組み合わせて作業を行っています。これらの技術により、患者さんの心臓の詳細な3Dイメージを、あらゆる角度からズームして観察できるホログラムへと変換することができます。こうすることで、子供の小さい心臓についての診療計画を立てる際、より良いものになるよう医師をサポートしています。

futureshaper VR training for surgeon

Siemens Healthineersは、PrecisionOS社と共同で没入型VRトレーニング・プログラムを開発しました。このソフトにより、外科医と技師は、術中3Dイメージング用のモバイルCアームのCios Spinを使って、バーチャルリアリティ環境で共同作業手順を本格的に訓練することができます。また、これらのソリューションは、臨床プロセスの最適化、時間短縮、コスト削減、臨床現場でのエラー防止にも貢献します。

Antonは、さらにその先を見すえていると言います。「将来的には、複数の医療機器と医師や医療スタッフによる複合的なワークフローをシミュレートできるようにしたいと考えています」。さらにその先には、バーチャルな患者さんも加わるかもしれません。

もちろん、“リアル”な患者さんも、こうしたソリューションの恩恵を受けることができます。「VRの助けを借りれば、例えば診察の際に恐怖心を抱いている患者さんを、快適でリラックスできるバーチャル環境に“テレポート”したり、痛みから気をそらしたりすることができるかもしれません」。患者さん向けのコンセプトは、将来的に大いに発展する可能性を秘めています。


Siemens Healthineersの社員のみならず顧客においても、仮想トレーニングや新人研修など、膨大なシナリオに活用することができます。例えば、医療機器の製造をさらに最適化するため、拡張現実感のあるヘッドセットやタブレット端末を使用するというシナリオもあります。段階ごとの進捗指示を含む仮想チェックリストを実際の工場環境にオーバーレイで表示し、製造工程でスタッフの作業をサポートすることができます。

また、XRは私たち企業にとって、イノベーションへの取り組み方を大きく変える可能性があります。例えば、Siemens Healthineersには、中国の上海やインドのバンガロールなどに、複数のイノベーションセンターがあります。


XRは、デジタルツインのような将来性のあるテクノロジーとの関連においても可能性を広げてくれます。XRはこれまで抽象的だった機器や人物のデジタルツインを可視化し、より具体化することができます。XRのおかげで、いずれは彼らと対話できるようになるでしょう。

シリコンバレーで盛んに行われているMicrosoft社のメタバースのような未来的な戦略構想も、理論的には医用技術にとって大きなチャンスとなる可能性があります。これらは、人や物や場所が完全なデジタルの世界で交流する、いわば新しい形のインターネットであり、バーチャルリアリティの助けを借りて、物理的な世界とほとんど同じように交流することができるのです。

しかし、この美しく新しい仮想世界は、多くのリスクもはらんでいます。「会社として実現可能なコンセプトを開発するためには、多くの基本的な問題を明らかにする必要があります」とAntonは説明します。例えば、最終的にどのようなメタバースが主流になるのか?メタバースは誰のものなのか?誰がメタバースを規制するのか?そして、そこでの機密データの安全性は?といった問題です。


Antonは、XRは何らかの形で私たち一人ひとりに影響を与えるだろうと考えています。将来、XRに関して理論的に可能となりうることについて、イーロン・マスクが述べた言葉が彼の記憶に残っています。「賢いエンジニアにとって最大の罠のひとつは、存在しないはずのものを最適化することだ」。これは、不要なもののために時間を費やしていないだろうかという示唆が込められています。

「XRコミュニティでは開発者として地に足をつけ、お客様との対話の中で『本当に必要なものは何か』を問い続ける必要があります。理論的に実現できそうなものをただ開発するだけではダメなんです」とAntonは語ります。これは技術的なことだけでなく、XRの倫理的な側面にも当てはまります。

私生活でのAntonは、「オタク的」なものよりも「地に足がついたもの」を好みます。何もない空間で手を動かすのではなく、お気に入りの工房で木材加工をするのです。もちろん、VRヘッドセットなしで。彼は言います、「結局、これも私の人生の一部ですから」。