がんは、何世紀にもわたって知られている病です。古代エジプトの医師イムホテプの医療研究にも記載があるほどです。がん治療の可能性について、イムホテプは単に「ない」と記しています。ヒポクラテスは患者の腫瘍の形状が砂の中に身を潜めているカニを連想させると気づき、この病気を「カルキノス」(ギリシャ語でカニの意)と名付けました。後に、ラテン語に訳され、がん(cancer)という単語はすっかり一般的になりました。しかし、そもそもがんとはどのようなものなのでしょうか?
19世紀半ば、ドイツの医師・病理学者のルドルフ・フィルヒョウ(Rudolf Virchow)は、「がんは、病理学的に変性した細胞が抑制されることなく増殖する際、発生する疾患」だと答えました。がんは通常、局所疾患として始まり、後に他の部位に拡がります。これら2つの段階の間に、がんを局所的に治療できる好機があります。長い間、この好機を生かす唯一の選択肢が外科手術だと考えられてきました。
初期の成功
1895年のX線の発見は、医学に革命をもたらしました。このブレイクスルーのわずか3週間後、ハンガリーの病理学者エンドレ・ヘージェシュ(Endre Högyes)は次のように書いています。「化学的効果に加え、X線は生物学的にもアクティブで、いずれ医学において治療の役割を果たすでしょう」。そのため研究者らは、この新しい技術で治療の可能性を探求することに夢中になっていきました。その一人に、医師のレオポルド・フロイント(Leopold Freund)がいます。1896年、フロイント医師はウィーン総合病院で背中の毛の異常成長に悩む少女をX線で治療しました。
当時、放射線で治療を行う専用装置はありませんでした。放射線治療分野への大きな歩みのひとつに、1913年にウィリアム・クーリッジ(William Coolidge)によるX線管の開発があり、これによって体内を透過するより強力な放射線の発生ができるようになりました。放射線治療の第一人者であるフリードリッヒ・デッサウアー(Friedrich Dessauer)は、X線管の発明に基づき、「Reform Apparatus」という装置を開発しました。一方で、エアランゲンのライニガー・ゲバート&シャール社(RGS)も、深部治療用に特別設計されたX線治療装置「Symmetry Apparatus」を開発しました。
診断用X線の使用に比べると、放射線治療は何時間にも及ぶことがあり、放射線の防護という考えが重要になっていきました。1922年、X線治療における深部照射や高電圧といった有害な影響から術者と患者をしっかり防護することを目的に、シーメンス初となるX線照射装置「Siemens Bestrahlungskasten」が発表されました。この装置は、治療時間の短縮はもちろん、術者・患者の不安軽減にも貢献しました。 Bestrahlungskastenは、主に電源・変圧器と照射部から成っており、これらは安定性が高く、照射時間の短縮化に寄与しました。
深さと正確さ
これらの大きな進歩にもかかわらず、放射線治療の黎明期には、深部腫瘍の治療に十分な深度のあるX線を発生させることができませんでした。この問題の解決策として、電磁場を使って電子を急激に減速させる前に円形経路上の電子を加速させ、それによって強度の高いX線を発生させるという円形加速器の登場があります。1950年、シーメンス・ライニガー=ヴェルケは、ロンドンの国際放射線学会(International Congress of Radiology)でベータトロン円形加速器を発表しました。
その後、数十年の間に、Siemens Mevatronなどの直線加速器の誕生があり、これらが主流となっていきました。電子を直線で加速すると、さらにがん治療に適した高い出力の放射線を発生させることができました。その結果、放射線治療は外科手術と並んでがん治療の柱として確立されていったのです。がん治療の3本目の柱といえる化学療法は、1950年代に生まれました。
直線加速器を使用することで、体内の深部にある腫瘍にも放射線を照射できるようになりました。しかし、腫瘍の大きさと位置は大まかにしか推定できませんでした。1970年代初頭にCT(コンピューター断層撮影)装置の出現により、腫瘍の大きさと位置を正確に特定することが可能になり、その腫瘍に合った線量を微調整できるようになりました。さらに、CTスキャンによって、放射線が患者それぞれの体にどのように影響したかを観察することができ、より正確な線量調整が可能になりました。MRI(磁気共鳴診断)装置の開発と並んでCTの改良、そして、PET(陽電子放出断層撮影)装置の誕生により、分枝状構造や凹凸といった腫瘍の形状を、これまでにないほど詳細に可視化できるようになりました。
これら複合的な画像を活用するには、高精度化されたツールやシステムが必要という認識のもと、1990年代にX線で腫瘍の輪郭をほぼ正確に再現する強度変調放射線治療(IMRT)が開発されました。その結果、実際の腫瘍形状にかなり近い線量分布を複数のセグメント(照射野形状)の構成により生成し、高い精度で放射線を照射できるようになりました。シーメンスは1997年に発売したPRIMUS直線加速器にこのIMRTという新しいテクノロジーを搭載しました。
しかし、X線を高精度に照射できるようになったことにより、患者のポジショニング制御がさらに重要になってきました。このため、直線加速器とCT装置を組み合わせたハイブリッドシステムの開発が進められました。2002年に登場した「PRIMATOM」は、初めてのハイブリッドシステムとして話題になり、画像誘導放射線治療(IGRT)が新しい標準となることを予見させました。一方、放射線治療中に腫瘍とその周辺組織が変化することを考え、治療中のリアルタイムのモニタリングと、必要に応じて線量調整ができるシステムが必要とされていきました。その実現を目的とし、2006年(日本国内では2009年)に「ARTISTE」が開発されました。
予防とリスク
これら技術的な進歩も重要ですが、何よりも大切なのはがんを早期に発見し、早く治療をすることです。したがって、予防のための検査とスクリーニングは重要な役割を果たします。一般に知られているものとしては、女性向けのマンモグラフィ検査があります。私たちSiemens Healthineersは1972年以来、MAMMOMARTシリーズを世に送り続け、乳がん検診のニーズに応えてきました。部位別のがんでよくみられる肺がんについては、高リスク患者に対して低線量CTを用いたスクリーニングプログラムが検討されている国もあります。SOMATOM goシリーズは、スキャン速度を調整することで肺がんのスクリーニングを可能にします。一方、血液や組織サンプルの検査は、特定の種類のがんの発症リスクが高い、またはある薬剤が特定の患者に有効である可能性が高い、など特定するためにより一層活用されていくでしょう。将来的には、臨床検査データと画像データを組み合わせることにより、臨床医は個々の患者に合った治療をより正確にカスタマイズできるようになり、つねに治療の成果を観察することができるようになるでしょう。
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